どうも有難うございます。
このブログには拍手コメント経由で
コメントを下さる方が割と多いです。
(内容が内容だからかな?)
世の中には
かなりの数の毒親に悩んでいる方が
いらっしゃるんだなぁ・・・と
心強いような・・悲しいような・・・
微妙な気持ちになりますね。
でも
「このブログで救われました」
というお言葉を頂けると
あー、こんな一方的な毒出しブログでも
少しは役に立てたのか・・・と
嬉しく思います。
コメントを下さった皆さん
どうも有難うございます。
コメントを下さる方が割と多いです。
(内容が内容だからかな?)
世の中には
かなりの数の毒親に悩んでいる方が
いらっしゃるんだなぁ・・・と
心強いような・・悲しいような・・・
微妙な気持ちになりますね。
でも
「このブログで救われました」
というお言葉を頂けると
あー、こんな一方的な毒出しブログでも
少しは役に立てたのか・・・と
嬉しく思います。
コメントを下さった皆さん
どうも有難うございます。
記憶の塗り替え。
今、読んでいる途中の本。
こちらは雑誌で紹介されていて
興味を持ったので図書館で借りたのですが
これも実は毒親絡みです…。
(当初は毒親系と思わず借りたのに。
実際に毒親メインの本ではないのでカテゴリも毒親本には
入れませんでした。)
主に定時制高校に通う高校生の貧困について
書いてあるのですが、その生活のキツさに
読んでいるこちらまでツラくなってきます。
定時制高校は授業開始前に給食があるそうなのですが、
仕事をギリギリまでこなしてから
登校すると給食に間に合わないので
いつも空腹とか…それをオブラートを食べて空腹を凌ぐとか
泣けてきます。
とある少女は親のプライドの為に
経済的な余裕がないのにもかかわらず
私立中学に入学した為に
周りとの格差からいじめに遭い
結局退学してしまったそうです。
でもね、この少女の母親が酷くて…。
学校に持たせるお弁当は
惣菜が入っている透明のパックで
何度も使っている為に熱でよれよれになっていて、
しかもそれをナフキンで包まずに
これまた透明のラップでくるんで
輪ゴムで留めて割り箸が付いているとか。
中身は梅干し一つの日の丸弁当がメインで
おかずは少なく、とてもじゃないけれど
友だちには見せられず隠れてトイレで食べたり捨てたり。
参観日は周りのお母さんがブランド物のスーツで
がっちり固めているのに
その子の母親は仕事着のもんぺに「いらっしゃいませ」と
印刷されたエプロンでやって来たとありました。
でも読んでいて思ったんだけど
これって私立中だからじゃなくて
公立に行っても同じじゃない?
いくらなんでも娘のお弁当に使い捨ての透明パックを
持たせるってのは有り得ないし、
参観日に仕事着で行くってのもどうかと…。
(せめてエプロンだけでも外すことは出来るでしょ)
別の話では、大阪の公立小学校の保健室で
2008年から朝食を出すようになった。
始業前には5人ほどの常連児童が廊下で待っているとか。
うちの毒母も朝食を用意してくれた事は
ないと以前の記事に書いたと思いますが
この事で非常に驚いた事がありまして。
まだ絶縁していなかった頃
上の子が生まれてまもなくの頃だったかな?
毒母がうちのマンションに来ていたのだと
思うのですが
朝食の話になって
ヤツは堂々と
「朝食は大事だからね。
それが分かっているから
お母さんはお前たちにきちんと食べさせていたしね。」
と言ってのけました。
( ̄△ ̄;)エッ・・?
いつ朝食を作ってくれた事がありましたっけ?
一度だって朝起きてきた事がないじゃない。
私は小学生に上がってからは一度も
親に起こされたことがありません。
私を起こしてくれるのは目覚まし時計。
(もしくは体内時計)
幼稚園時代に毒母頼みで起きていたら
一度遅刻をした事があって
それがすっごく嫌だったから。
でも私が上記の公立小に通っていたとしても
保健室の朝食はもらいに行かないだろうな。
親が朝食を用意しない家庭の子だなんて
他の人に知られたくないから。
一応、自分の家が他の家と違うという認識は
あったのでそれを隠すように生きていましたね、
小・中学時代は。
そういえばどなたかのブログで
学校の給食白衣がボロボロで、いつも
娘さんが持ち帰ると自分が繕って
さらにアイロン掛けをして綺麗にして
持たせる、他のお母さんは洗ったら
そのまま持たせてるのかしら…とあったんだけど
うちの親なんて洗濯もしてくれなくて
仕方がないから綺麗に綺麗に畳んで
うまく誤魔化して(?)翌週
持って行った事もあったわ。
(翌週の給食当番さんゴメンナサイ)
とにかく
今は思い出せないのだけど
毒母ってヤツは
自分の悪事を何故かすっぱり忘れて
いいように記憶を塗り替える事が
出来る人種のようです。
(他にも沢山あったのよ!!でも忘れたわ)
これとは別に
自分で勝手に間違って思い込んでいて
こちらが訂正しても
絶対に認めないのも特徴ね。
これまたやはり
マンションに毒母が来ていた時だと
思うけど、
昔話になって
とあるTV番組にうちの弟が出演したのは
何歳だったかという話になり、
その出演をしたときは
昭和の最後の年だったので
私が中学2年生という事は間違いないのに
(5歳年下の弟は必然的に小学3年生)
「あんた何言ってんの?バカじゃないの。
あの時、T(弟の名前)はもっと大きかったってば。
中学生だったわよ」
などとのたまいだした。
大体さ、中学に入ったら弟は即グレ出したんだから
そんなTV番組に悠長に出ているわけじゃない。
考えればすぐに分かる事なのに
何故気づかない?
この時も結局自分の非を認めなかったので
私もそれ以上は何も言いませんでしたが
「コイツ…実はボケが始まってるんだろうか」
と本気で思いました。
ちなみにこの時に
まんじゅうを一箱全部1人で平らげつつ
「お母さん、最近食欲がなくて…病気かも。モグモグ」
と言ったことにも目が点でした。
毒親ってある意味病気なのかもしれません…。
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こちらは雑誌で紹介されていて
興味を持ったので図書館で借りたのですが
これも実は毒親絡みです…。
(当初は毒親系と思わず借りたのに。
実際に毒親メインの本ではないのでカテゴリも毒親本には
入れませんでした。)
主に定時制高校に通う高校生の貧困について
書いてあるのですが、その生活のキツさに
読んでいるこちらまでツラくなってきます。
定時制高校は授業開始前に給食があるそうなのですが、
仕事をギリギリまでこなしてから
登校すると給食に間に合わないので
いつも空腹とか…それをオブラートを食べて空腹を凌ぐとか
泣けてきます。
とある少女は親のプライドの為に
経済的な余裕がないのにもかかわらず
私立中学に入学した為に
周りとの格差からいじめに遭い
結局退学してしまったそうです。
でもね、この少女の母親が酷くて…。
学校に持たせるお弁当は
惣菜が入っている透明のパックで
何度も使っている為に熱でよれよれになっていて、
しかもそれをナフキンで包まずに
これまた透明のラップでくるんで
輪ゴムで留めて割り箸が付いているとか。
中身は梅干し一つの日の丸弁当がメインで
おかずは少なく、とてもじゃないけれど
友だちには見せられず隠れてトイレで食べたり捨てたり。
参観日は周りのお母さんがブランド物のスーツで
がっちり固めているのに
その子の母親は仕事着のもんぺに「いらっしゃいませ」と
印刷されたエプロンでやって来たとありました。
でも読んでいて思ったんだけど
これって私立中だからじゃなくて
公立に行っても同じじゃない?
いくらなんでも娘のお弁当に使い捨ての透明パックを
持たせるってのは有り得ないし、
参観日に仕事着で行くってのもどうかと…。
(せめてエプロンだけでも外すことは出来るでしょ)
別の話では、大阪の公立小学校の保健室で
2008年から朝食を出すようになった。
始業前には5人ほどの常連児童が廊下で待っているとか。
うちの毒母も朝食を用意してくれた事は
ないと以前の記事に書いたと思いますが
この事で非常に驚いた事がありまして。
まだ絶縁していなかった頃
上の子が生まれてまもなくの頃だったかな?
毒母がうちのマンションに来ていたのだと
思うのですが
朝食の話になって
ヤツは堂々と
「朝食は大事だからね。
それが分かっているから
お母さんはお前たちにきちんと食べさせていたしね。」
と言ってのけました。
( ̄△ ̄;)エッ・・?
いつ朝食を作ってくれた事がありましたっけ?
一度だって朝起きてきた事がないじゃない。
私は小学生に上がってからは一度も
親に起こされたことがありません。
私を起こしてくれるのは目覚まし時計。
(もしくは体内時計)
幼稚園時代に毒母頼みで起きていたら
一度遅刻をした事があって
それがすっごく嫌だったから。
でも私が上記の公立小に通っていたとしても
保健室の朝食はもらいに行かないだろうな。
親が朝食を用意しない家庭の子だなんて
他の人に知られたくないから。
一応、自分の家が他の家と違うという認識は
あったのでそれを隠すように生きていましたね、
小・中学時代は。
そういえばどなたかのブログで
学校の給食白衣がボロボロで、いつも
娘さんが持ち帰ると自分が繕って
さらにアイロン掛けをして綺麗にして
持たせる、他のお母さんは洗ったら
そのまま持たせてるのかしら…とあったんだけど
うちの親なんて洗濯もしてくれなくて
仕方がないから綺麗に綺麗に畳んで
うまく誤魔化して(?)翌週
持って行った事もあったわ。
(翌週の給食当番さんゴメンナサイ)
とにかく
今は思い出せないのだけど
毒母ってヤツは
自分の悪事を何故かすっぱり忘れて
いいように記憶を塗り替える事が
出来る人種のようです。
(他にも沢山あったのよ!!でも忘れたわ)
これとは別に
自分で勝手に間違って思い込んでいて
こちらが訂正しても
絶対に認めないのも特徴ね。
これまたやはり
マンションに毒母が来ていた時だと
思うけど、
昔話になって
とあるTV番組にうちの弟が出演したのは
何歳だったかという話になり、
その出演をしたときは
昭和の最後の年だったので
私が中学2年生という事は間違いないのに
(5歳年下の弟は必然的に小学3年生)
「あんた何言ってんの?バカじゃないの。
あの時、T(弟の名前)はもっと大きかったってば。
中学生だったわよ」
などとのたまいだした。
大体さ、中学に入ったら弟は即グレ出したんだから
そんなTV番組に悠長に出ているわけじゃない。
考えればすぐに分かる事なのに
何故気づかない?
この時も結局自分の非を認めなかったので
私もそれ以上は何も言いませんでしたが
「コイツ…実はボケが始まってるんだろうか」
と本気で思いました。
ちなみにこの時に
まんじゅうを一箱全部1人で平らげつつ
「お母さん、最近食欲がなくて…病気かも。モグモグ」
と言ったことにも目が点でした。
毒親ってある意味病気なのかもしれません…。
テーマ : AC(アダルトチルドレン)
ジャンル : 心と身体
放置母。
先ほどの話。
夕食を食べ終わって子供達はリビングで
ドラえもんを観ていた。
私はサンルームの洗濯物を取り込んでいた。
サンルーム側には裏のお宅が一段下がった場所に
あって我が家からは見下ろす事が出来る。
珍しく小さい子供の泣き声がする。
ただの泣き声でなくギャン泣きだ。
お母さんに怒られて泣いているのかな?
と特に気にも留めずに作業を続けたのだが
何やら様子がおかしい。
バンバンとドアを叩く音がする。
もしかしてお仕置きで外に締め出されてるのかな?
と初めは思った。
うちでも先日旦那が長男を怒って
玄関の外に締め出した事がある。
つい最近はお隣の息子さんがやはり
怒られたようでベランダに締め出されて
ワンワン泣いていた。
ところが今回は泣き声がなかなか止まない。
狂ったように泣き叫ぶ声とバンバンと
ものすごくドアを叩く音。
さすがに気になって
サンルームからそっと外を覗いてみると
玄関のガラス戸を中から
バンバンと叩く小さい手が微かに見えた。
締め出されたんじゃなくて
家の中だったのか!
そういえばいつもだったら
電気がついているのに
家じゅう真っ暗だ。
車庫に車もない。
もしかして1人で置いて行かれたのか?
ちなみに男の子は幼稚園児。
夜に1人で留守番出来る年齢ではない。
それにしても…。
本当に家に誰もいないのか?
親がいないにしても
上のお姉ちゃんやお兄ちゃんは
どうしたんだろう。。。
下の子だけ先に寝かせて
どこかへ行ってしまったのか。
そのうち帰ってくるよね…と
思って様子を見ていたんだけど
一向に泣き止む気配もなく。
TVを観ていた子供達ですら
ドアのバンバン叩く音が聞こえるようで
「どうしたの?」とやってきた。
これは一度様子を見に行った方がいいかも…と
思い、裏のお宅の前まで行ってみた。
インターホンを押すと泣き声が止んだ。
誰も出ないところを見ると
やはり男の子しか家にはいないらしい。
ドアをコンコンノックして
「大丈夫?ママはいないの?」と聞いてみると
返事はない。
でも施錠を外す音がして
ドアが開く。
泣き顔の男の子。
でもすぐにドアを閉めて中に入ってしまった。
お母さんと間違えたのか?
そうこうするうちに
一台の車が入ってきた。
帰ってきました!
「スミマセン!!上の子を塾に送っていったので…」
あぁ、やっぱりすぐ帰って来るという事で
置いて行ったのね。
とにかく何もなくて良かったです。
でも、知らない人が来て
施錠を外すようじゃちょっと危ないかも~。
実は今回だけでなく
以前にも声を掛けようかと思ったことがありまして。。。。
上のお兄ちゃんは小学生なんですが
帰ってきたら
家に誰も居なかったようで
ずっとインターホンを押して
「ママー。●●くーーん、おねーちゃーん」
と名前を呼んでいるんです。
次第に泣き声になってきて…。
もしかして誰も居ない日なのに
鍵を持って出なかったのかしら?
と心配になって
うちで待ってもらおうか…などと
考えているうちに
やはり車でお母さんが帰宅
あー、良かった…という事が何度かありました。
このお母さんは別に毒でもなんでもなくて
普通の良いお母さんなのですが
どうしても、この子たちを見ていると
昔の自分が重なってしまって…
声を掛けたい!!という衝動に駆られます。
うちの毒母はしょっちゅう子供だけを
置いて、どこかへ行ってしまう事がありました。
それは車内だったり、家だったり
様々でしたが。
記憶に残っているのは車内に残された
幼稚園児の私とまだ赤ちゃんの弟。
弟がぐずぐず言い始めました。
横になったまま真っ赤な顔をして
泣きだします。
どうすればいいのか分からない私。
ますます声をあげて泣く弟。
だんだん悲しくなってきました。
私も思わず泣いてしまいます。
ワンワンギャンギャン
2人の泣き声の合唱です。
戻ってきた毒母は
泣いている私を見て
馬鹿にしたように
「何ないてるの?」と一言。
もう一つ記憶に残っているのは
やはり私と弟だけで家に残された時。
同じように弟がぐずぐず言い出しました。
車内放置の時よりは
時期的にこちらが後だったのでしょうか…。
私は弟が泣き止むように
試みました。
もしかしたらオムツが濡れてるのかもしれない。
オムツを開けると…ビンゴ!
大の方を大量にしていました。
当時、弟がしていたのは布オムツ。
開けてみたのは良いけれど
ここからどうやって処理してよいのか
さっぱり分かりません。
相変わらず泣き続ける弟。
汚れたオムツを目の前にして途方に暮れる私。
まただんだん悲しくなってきて
一緒にワンワン泣きました。
今思えば、出掛ける前に一言
「すぐ帰って来るからね」と
声を掛けてくれれば
こんなに不安な気持ちにはならなかったのでは?
と思います。
毒母は私に対するコミュニケーションが
殆どなかったので
(子供に言っても無駄というスタンスなのか…)
私は要らぬ不安を抱えていた事が多かったです。
そういえば園のお迎えの時も
知らないおばさんが毒母の代わりにやってきて
非常に驚いた事があります。
(結局、これは当時毒母が始めた仕事で
迎えに来られない代わりに、今で言う
ファミサポさんのような方が来てくれたのですが)
この件も当日の朝に
「今日は○○さんというおばさんが迎えに
来るから」
という話をしてくれさえすれば済む話なのに
何で何も言わない?と不思議でたまりません。
ファミサポさんの車に乗せられて
職場に向かうまで私は心の中で
「これは誘拐されているのかもしれない」
と、とてもドキドキしていたのです。
今日の一件で
幼稚園時代の出来事をふと思い出して
しまったので
書かせて頂きました。
夕食を食べ終わって子供達はリビングで
ドラえもんを観ていた。
私はサンルームの洗濯物を取り込んでいた。
サンルーム側には裏のお宅が一段下がった場所に
あって我が家からは見下ろす事が出来る。
珍しく小さい子供の泣き声がする。
ただの泣き声でなくギャン泣きだ。
お母さんに怒られて泣いているのかな?
と特に気にも留めずに作業を続けたのだが
何やら様子がおかしい。
バンバンとドアを叩く音がする。
もしかしてお仕置きで外に締め出されてるのかな?
と初めは思った。
うちでも先日旦那が長男を怒って
玄関の外に締め出した事がある。
つい最近はお隣の息子さんがやはり
怒られたようでベランダに締め出されて
ワンワン泣いていた。
ところが今回は泣き声がなかなか止まない。
狂ったように泣き叫ぶ声とバンバンと
ものすごくドアを叩く音。
さすがに気になって
サンルームからそっと外を覗いてみると
玄関のガラス戸を中から
バンバンと叩く小さい手が微かに見えた。
締め出されたんじゃなくて
家の中だったのか!
そういえばいつもだったら
電気がついているのに
家じゅう真っ暗だ。
車庫に車もない。
もしかして1人で置いて行かれたのか?
ちなみに男の子は幼稚園児。
夜に1人で留守番出来る年齢ではない。
それにしても…。
本当に家に誰もいないのか?
親がいないにしても
上のお姉ちゃんやお兄ちゃんは
どうしたんだろう。。。
下の子だけ先に寝かせて
どこかへ行ってしまったのか。
そのうち帰ってくるよね…と
思って様子を見ていたんだけど
一向に泣き止む気配もなく。
TVを観ていた子供達ですら
ドアのバンバン叩く音が聞こえるようで
「どうしたの?」とやってきた。
これは一度様子を見に行った方がいいかも…と
思い、裏のお宅の前まで行ってみた。
インターホンを押すと泣き声が止んだ。
誰も出ないところを見ると
やはり男の子しか家にはいないらしい。
ドアをコンコンノックして
「大丈夫?ママはいないの?」と聞いてみると
返事はない。
でも施錠を外す音がして
ドアが開く。
泣き顔の男の子。
でもすぐにドアを閉めて中に入ってしまった。
お母さんと間違えたのか?
そうこうするうちに
一台の車が入ってきた。
帰ってきました!
「スミマセン!!上の子を塾に送っていったので…」
あぁ、やっぱりすぐ帰って来るという事で
置いて行ったのね。
とにかく何もなくて良かったです。
でも、知らない人が来て
施錠を外すようじゃちょっと危ないかも~。
実は今回だけでなく
以前にも声を掛けようかと思ったことがありまして。。。。
上のお兄ちゃんは小学生なんですが
帰ってきたら
家に誰も居なかったようで
ずっとインターホンを押して
「ママー。●●くーーん、おねーちゃーん」
と名前を呼んでいるんです。
次第に泣き声になってきて…。
もしかして誰も居ない日なのに
鍵を持って出なかったのかしら?
と心配になって
うちで待ってもらおうか…などと
考えているうちに
やはり車でお母さんが帰宅
あー、良かった…という事が何度かありました。
このお母さんは別に毒でもなんでもなくて
普通の良いお母さんなのですが
どうしても、この子たちを見ていると
昔の自分が重なってしまって…
声を掛けたい!!という衝動に駆られます。
うちの毒母はしょっちゅう子供だけを
置いて、どこかへ行ってしまう事がありました。
それは車内だったり、家だったり
様々でしたが。
記憶に残っているのは車内に残された
幼稚園児の私とまだ赤ちゃんの弟。
弟がぐずぐず言い始めました。
横になったまま真っ赤な顔をして
泣きだします。
どうすればいいのか分からない私。
ますます声をあげて泣く弟。
だんだん悲しくなってきました。
私も思わず泣いてしまいます。
ワンワンギャンギャン
2人の泣き声の合唱です。
戻ってきた毒母は
泣いている私を見て
馬鹿にしたように
「何ないてるの?」と一言。
もう一つ記憶に残っているのは
やはり私と弟だけで家に残された時。
同じように弟がぐずぐず言い出しました。
車内放置の時よりは
時期的にこちらが後だったのでしょうか…。
私は弟が泣き止むように
試みました。
もしかしたらオムツが濡れてるのかもしれない。
オムツを開けると…ビンゴ!
大の方を大量にしていました。
当時、弟がしていたのは布オムツ。
開けてみたのは良いけれど
ここからどうやって処理してよいのか
さっぱり分かりません。
相変わらず泣き続ける弟。
汚れたオムツを目の前にして途方に暮れる私。
まただんだん悲しくなってきて
一緒にワンワン泣きました。
今思えば、出掛ける前に一言
「すぐ帰って来るからね」と
声を掛けてくれれば
こんなに不安な気持ちにはならなかったのでは?
と思います。
毒母は私に対するコミュニケーションが
殆どなかったので
(子供に言っても無駄というスタンスなのか…)
私は要らぬ不安を抱えていた事が多かったです。
そういえば園のお迎えの時も
知らないおばさんが毒母の代わりにやってきて
非常に驚いた事があります。
(結局、これは当時毒母が始めた仕事で
迎えに来られない代わりに、今で言う
ファミサポさんのような方が来てくれたのですが)
この件も当日の朝に
「今日は○○さんというおばさんが迎えに
来るから」
という話をしてくれさえすれば済む話なのに
何で何も言わない?と不思議でたまりません。
ファミサポさんの車に乗せられて
職場に向かうまで私は心の中で
「これは誘拐されているのかもしれない」
と、とてもドキドキしていたのです。
今日の一件で
幼稚園時代の出来事をふと思い出して
しまったので
書かせて頂きました。
テーマ : AC(アダルトチルドレン)
ジャンル : 心と身体
まんまと騙される。(その2)
実家に帰ってきたばかりの頃は
毒母もだいぶおとなしくなっており
「あぁ、ようやく変わってくれたんだな。
私は好きなように生きていいんだ」
と思い、変わらずバイト生活を続けていました。
ところがそんなのはほんのわずかな時間だけ。
再びじわじわと本来の毒を帯びてくるようになりました。
毒母は当時、不動産屋で働いていました。
男性社員2人と毒母の3人のみの小さな会社です。
「事務員がいないから、お前(私の事をこう呼びます)
ウチで働いてみれば?」
と毒母が話を持ち掛けてきました。
結局、再受験をするつもりが
また一年棒に振ってしまった私。
正直、今後どのような身の振り方を
すれば良いのか悩んでいました。
もうこの年齢で大学に入学しても
今度は年齢がネックになって
就職出来ないかもしれない…。
だったらきちんと就職先を見つけて
身を固めた方が良いのではないか。
でも…短大をやめたのに、2年間を無駄にしたのに
結局、ただの事務職?
そんなのは嫌だ。
せっかく自由になったのならば
私は私がやりたい職業に就きたい。
そう、思い返せば
中学の初めから(もしかしたら小学校高学年からかも?)
毒母に
「手に職つけろ、それでなければ公務員になれ、」
と呪文のように聞かされてきた毎日。
いつのまにか自分が本当にやりたい事は
何なのか分からなくなっていました。
ですが、反抗心からか
毒母が言う職業にだけは絶対に就きたくない
というのがありました。
なので、看護師、公務員は除外。
かと言ってバイトでやっている
接客業は傍から見ると
適応があるように思われるけれど
かなり無理してやっているので(自分を作っている)
ストレスでおかしくなりそう⇒本職にするのには
絶対無理。
昼夜逆転の生活も体力的に限界が来ていたので
キリの良い今年度中(3月まで)に何とかしようと
思っていました。
毒母もだいぶおとなしくなっており
「あぁ、ようやく変わってくれたんだな。
私は好きなように生きていいんだ」
と思い、変わらずバイト生活を続けていました。
ところがそんなのはほんのわずかな時間だけ。
再びじわじわと本来の毒を帯びてくるようになりました。
毒母は当時、不動産屋で働いていました。
男性社員2人と毒母の3人のみの小さな会社です。
「事務員がいないから、お前(私の事をこう呼びます)
ウチで働いてみれば?」
と毒母が話を持ち掛けてきました。
結局、再受験をするつもりが
また一年棒に振ってしまった私。
正直、今後どのような身の振り方を
すれば良いのか悩んでいました。
もうこの年齢で大学に入学しても
今度は年齢がネックになって
就職出来ないかもしれない…。
だったらきちんと就職先を見つけて
身を固めた方が良いのではないか。
でも…短大をやめたのに、2年間を無駄にしたのに
結局、ただの事務職?
そんなのは嫌だ。
せっかく自由になったのならば
私は私がやりたい職業に就きたい。
そう、思い返せば
中学の初めから(もしかしたら小学校高学年からかも?)
毒母に
「手に職つけろ、それでなければ公務員になれ、」
と呪文のように聞かされてきた毎日。
いつのまにか自分が本当にやりたい事は
何なのか分からなくなっていました。
ですが、反抗心からか
毒母が言う職業にだけは絶対に就きたくない
というのがありました。
なので、看護師、公務員は除外。
かと言ってバイトでやっている
接客業は傍から見ると
適応があるように思われるけれど
かなり無理してやっているので(自分を作っている)
ストレスでおかしくなりそう⇒本職にするのには
絶対無理。
昼夜逆転の生活も体力的に限界が来ていたので
キリの良い今年度中(3月まで)に何とかしようと
思っていました。
テーマ : AC(アダルトチルドレン)
ジャンル : 心と身体
まんまと騙される。
成人式以降の事は記憶が途切れ途切れで
実はあまりよく覚えていません…。
(夜型の生活をしていて睡眠不足だったせいも
あるのでしょうか…。記憶の定着に睡眠って
大事ですもんね)
ただ、その年の1月17日に阪神大震災があって
その時の私は仮住まいのアパートで
目覚めて(朝帰ってきて夕方頃起きた)
ニュースで初めて知ったというのをハッキリと
覚えているので
この頃には居候をやめて実家に帰っていたのかしら…。
とにかくそのきっかけとなったのが
毒母からの手紙でした。
恐らく成人式の打ち合わせか何かで
一旦帰った時に
私のバッグに忍ばせたんですかね…。
マリちゃん宅に戻ってから
手紙の存在に気付いて
開けてみると
今までの謝罪の言葉などが
書き連ねてあったような…。
内容は全く覚えていないんですけど
当時の私はまだまだ子供だったんですねぇ~。
まーーんまと騙されました!!!
昼夜逆転の生活に疲れたせいもあったのかも。
マリちゃん宅での居候歴も1ヶ月を超えた頃から
さすがに悪いなぁと思うようになってきてたし…。
(お金は少し入れてはいましたが)
とにかく正確な時期は覚えていませんが
年が明けてから、マリちゃん宅での居候に終止符を打ち
実家に帰ってきたのです。
実はあまりよく覚えていません…。
(夜型の生活をしていて睡眠不足だったせいも
あるのでしょうか…。記憶の定着に睡眠って
大事ですもんね)
ただ、その年の1月17日に阪神大震災があって
その時の私は仮住まいのアパートで
目覚めて(朝帰ってきて夕方頃起きた)
ニュースで初めて知ったというのをハッキリと
覚えているので
この頃には居候をやめて実家に帰っていたのかしら…。
とにかくそのきっかけとなったのが
毒母からの手紙でした。
恐らく成人式の打ち合わせか何かで
一旦帰った時に
私のバッグに忍ばせたんですかね…。
マリちゃん宅に戻ってから
手紙の存在に気付いて
開けてみると
今までの謝罪の言葉などが
書き連ねてあったような…。
内容は全く覚えていないんですけど
当時の私はまだまだ子供だったんですねぇ~。
まーーんまと騙されました!!!
昼夜逆転の生活に疲れたせいもあったのかも。
マリちゃん宅での居候歴も1ヶ月を超えた頃から
さすがに悪いなぁと思うようになってきてたし…。
(お金は少し入れてはいましたが)
とにかく正確な時期は覚えていませんが
年が明けてから、マリちゃん宅での居候に終止符を打ち
実家に帰ってきたのです。
テーマ : AC(アダルトチルドレン)
ジャンル : 心と身体
