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ふと思い出したこと。

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自分でつくれる200年家系図 [ 橋本雅幸 ]
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この夏に↑この本を読んだら
ものすごーーーく家系図に興味が沸いてきて
色々調べているところです。

我が家はもともと親戚づきあいがないので
自分の先祖がどういう人でどこに住んでいたのかすら
分からない状態。

父方の祖父母は早くに亡くなっていたので
私は会ったことがありません。

母方のほうは小学校低学年頃まで
曾祖父、曾祖母ともに健在だったことは
記憶にあります。

私の名前の名付け親は曾祖父だったよな~
確かアルバムに名前があったはず…と
アルバムを取り出して
子供たちと色々見ているうちに
色々と記憶が蘇ってきました。

嘘だと思うかもしれませんが
3,4歳の頃の写真を見ても
どういう状況で撮った写真か
詳細な記憶があるんです、私。

これはこうやって無理やり
ポーズ取らされた写真だったな~とか
これは怒られた直後の写真だから
目が腫れてるとか…。


写真って子供の自然な笑顔を
収めるものじゃないんですかね。
私はいつも無理やり撮らされてたから
本当に嫌そうな顔をしています。
それが毒母の機嫌を損ね
怒られる。

だから私は写真を撮るのが
あまり好きじゃないのかもしれません。
子供が小学生になってからは
ほっとんど撮っていません。

よく運動会やら何やらで
業者が使うような脚立を持参して
ビデオ撮影している人がいるけど
毒母の姿と重なってしまい
冷ややかな目で見てしまいます。

撮影すること自体が好きで
子供の成長云々はどうでもいいんだよね、
結局…と思ってしまう。



今回思い出したのは次の二つのエピソード。


一つ目は3歳半の頃。(写真の裏の日付より)

父の田舎に行きました。
その頃は養豚をしていたようで
豚小屋に豚が沢山いたのを覚えています。

そこのおばさんがとても優しくて
(父の兄のお嫁さんでしょうか?父の兄と
父が似ていておかしくて笑った記憶があるので
おそらくそうかな?)
ずっとここで過ごしたいな~と思っていました。

子供が喜ぶようにでしょうか。
お風呂の時間に
わざわざビニールプールにお湯を入れてくれて
そこの家の子供たちと一緒に入って
すっごく面白かった。

引っ込み思案な私が、帰る日におばさんに
「またプールに入りたいな」と言ったほどです。

おばさんは
「あ?そうなの?じゃ、今、お湯入れてあげるから
帰る前に入っていきな~」
と用意してくれました。

なのに…。

毒母は

「トン子!!何言ってんの!もう帰るのに。
○○さん、スミマセン。わがまま言って。
もう帰りますからいいです!」

と断りやがった。

おばさんは

「えー、トンちゃん楽しみにしてるし
もうお湯入れちゃったからいいじゃないの」

と言ってくれたのに
結局、毒母は拒否!!!


でもその後、すぐ帰ると言っていた毒母は
誰かと長話をしていて何時間も経過。

おばさんがこっそりと私に
「こんな時間があるんだったらプール
入れたのにね」と言いました。



**********************************


もう一つのエピソード。

前記事で出てきた4人兄弟の一番下の叔母。

予定外の子供だったのか毒母とは12歳離れていて
私とは10歳しか変わらない。

カツオとタラちゃんのような関係ですかね。

なので、叔母というよりは従姉妹接するような
感覚でした。


叔母は漫画が好きで
時々不要になった漫画を譲ってくれたりしました。
その頃の私は低学年で
「なかよし」を読み始めたばかり。

叔母がこれから本屋に行くから
何か好きな漫画を買ってあげるよと言ってくれて
一緒に出掛けることになりました。

さぁ行こう!というその時。

出ました、毒母。


「どこ行くの?もう帰るんだよ(怒)」


泣きそうな私。


叔母が

「じゃ、トン子が欲しい漫画買ってきて
あげるからタイトル教えて?
今度会った時に渡してあげるから」

と気を利かせてくれました。



結局、すぐ帰るといった毒母は
祖母と長話をダラダラと続け
叔母は本屋から帰ってきました。


叔母 「なんだ、まだいるなら
一緒に本屋に行けたのにね」




私のささやかな楽しみを
奪う毒母。

今思えばわざとやってるとしか
思えない。





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放置母。

先ほどの話。

夕食を食べ終わって子供達はリビングで
ドラえもんを観ていた。

私はサンルームの洗濯物を取り込んでいた。

サンルーム側には裏のお宅が一段下がった場所に
あって我が家からは見下ろす事が出来る。

珍しく小さい子供の泣き声がする。

ただの泣き声でなくギャン泣きだ。

お母さんに怒られて泣いているのかな?

と特に気にも留めずに作業を続けたのだが
何やら様子がおかしい。

バンバンとドアを叩く音がする。

もしかしてお仕置きで外に締め出されてるのかな?
と初めは思った。

うちでも先日旦那が長男を怒って
玄関の外に締め出した事がある。

つい最近はお隣の息子さんがやはり
怒られたようでベランダに締め出されて
ワンワン泣いていた。


ところが今回は泣き声がなかなか止まない。
狂ったように泣き叫ぶ声とバンバンと
ものすごくドアを叩く音。

さすがに気になって
サンルームからそっと外を覗いてみると
玄関のガラス戸を中から
バンバンと叩く小さい手が微かに見えた。


締め出されたんじゃなくて
家の中だったのか!

そういえばいつもだったら
電気がついているのに
家じゅう真っ暗だ。

車庫に車もない。

もしかして1人で置いて行かれたのか?


ちなみに男の子は幼稚園児。
夜に1人で留守番出来る年齢ではない。

それにしても…。

本当に家に誰もいないのか?
親がいないにしても
上のお姉ちゃんやお兄ちゃんは
どうしたんだろう。。。

下の子だけ先に寝かせて
どこかへ行ってしまったのか。


そのうち帰ってくるよね…と
思って様子を見ていたんだけど
一向に泣き止む気配もなく。

TVを観ていた子供達ですら
ドアのバンバン叩く音が聞こえるようで
「どうしたの?」とやってきた。


これは一度様子を見に行った方がいいかも…と
思い、裏のお宅の前まで行ってみた。
インターホンを押すと泣き声が止んだ。

誰も出ないところを見ると
やはり男の子しか家にはいないらしい。

ドアをコンコンノックして
「大丈夫?ママはいないの?」と聞いてみると
返事はない。

でも施錠を外す音がして
ドアが開く。

泣き顔の男の子。

でもすぐにドアを閉めて中に入ってしまった。

お母さんと間違えたのか?

そうこうするうちに
一台の車が入ってきた。

帰ってきました!

「スミマセン!!上の子を塾に送っていったので…」

あぁ、やっぱりすぐ帰って来るという事で
置いて行ったのね。


とにかく何もなくて良かったです。

でも、知らない人が来て
施錠を外すようじゃちょっと危ないかも~。


実は今回だけでなく
以前にも声を掛けようかと思ったことがありまして。。。。

上のお兄ちゃんは小学生なんですが
帰ってきたら
家に誰も居なかったようで
ずっとインターホンを押して
「ママー。●●くーーん、おねーちゃーん」
と名前を呼んでいるんです。

次第に泣き声になってきて…。


もしかして誰も居ない日なのに
鍵を持って出なかったのかしら?
と心配になって
うちで待ってもらおうか…などと
考えているうちに
やはり車でお母さんが帰宅
あー、良かった…という事が何度かありました。


このお母さんは別に毒でもなんでもなくて
普通の良いお母さんなのですが
どうしても、この子たちを見ていると
昔の自分が重なってしまって…
声を掛けたい!!という衝動に駆られます。



うちの毒母はしょっちゅう子供だけを
置いて、どこかへ行ってしまう事がありました。

それは車内だったり、家だったり
様々でしたが。

記憶に残っているのは車内に残された
幼稚園児の私とまだ赤ちゃんの弟。

弟がぐずぐず言い始めました。
横になったまま真っ赤な顔をして
泣きだします。

どうすればいいのか分からない私。

ますます声をあげて泣く弟。

だんだん悲しくなってきました。
私も思わず泣いてしまいます。


ワンワンギャンギャン
2人の泣き声の合唱です。

戻ってきた毒母は
泣いている私を見て
馬鹿にしたように
「何ないてるの?」と一言。


もう一つ記憶に残っているのは
やはり私と弟だけで家に残された時。

同じように弟がぐずぐず言い出しました。
車内放置の時よりは
時期的にこちらが後だったのでしょうか…。

私は弟が泣き止むように
試みました。

もしかしたらオムツが濡れてるのかもしれない。

オムツを開けると…ビンゴ!

大の方を大量にしていました。

当時、弟がしていたのは布オムツ。

開けてみたのは良いけれど
ここからどうやって処理してよいのか
さっぱり分かりません。

相変わらず泣き続ける弟。

汚れたオムツを目の前にして途方に暮れる私。

まただんだん悲しくなってきて
一緒にワンワン泣きました。




今思えば、出掛ける前に一言
「すぐ帰って来るからね」と
声を掛けてくれれば
こんなに不安な気持ちにはならなかったのでは?
と思います。

毒母は私に対するコミュニケーションが
殆どなかったので
(子供に言っても無駄というスタンスなのか…)
私は要らぬ不安を抱えていた事が多かったです。

そういえば園のお迎えの時も
知らないおばさんが毒母の代わりにやってきて
非常に驚いた事があります。
(結局、これは当時毒母が始めた仕事で
迎えに来られない代わりに、今で言う
ファミサポさんのような方が来てくれたのですが)

この件も当日の朝に
「今日は○○さんというおばさんが迎えに
来るから」
という話をしてくれさえすれば済む話なのに
何で何も言わない?と不思議でたまりません。

ファミサポさんの車に乗せられて
職場に向かうまで私は心の中で
「これは誘拐されているのかもしれない」
と、とてもドキドキしていたのです。


今日の一件で
幼稚園時代の出来事をふと思い出して
しまったので
書かせて頂きました。







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(続)昔は今ほどGWが長くなくて良かった…。

前回書いたように
我が家の旅行と言えばほぼ99.9%、
大人が行きたい温泉だったわけですが、
私の記憶の中に3か所だけ温泉ではなかった
場所があります。
(でもこれも子供が行きたいと言ったわけでなく
毒母が勝手に決めた行先)


ひとつは幼稚園の頃だったと思うんだけど
後楽園遊園地。
何故か父はいなくて
私と母の二人だけ。

「ドンチャック」ってご存知ですか?





↑動画を観ると後楽園となんらかの
関わりがあるのかな??


このドンチャックの着ぐるみ隊がいたので
私はこれをそばで見たくて
毒母に見たい!と行ったのに
聞き入れてもらえず
毒母が乗りたいというジェットコースターに同乗。
(この頃、身長制限とかゆるかったのかな?
多分まだ3~4歳だったはずなんだけど)

ジェットコースターを乗り終えて
元の場所に戻ったら
もうドンチャックは居なかったという悲しい想い出です。


どこまでも自分優先。
子供のいう事を聞いてやろうかという気はゼロ。


そうそう、最近話題のビッグダディの元嫁>セミヌード出した方ね。

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あいつとうちの毒母が被るわ。


彼女も早くに結婚・出産してるけれど
うちもそうだったし、
自分がちやほやされないと機嫌が悪くなるところなんて
そっくり!



とりあえず次回に続きます。


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幼い頃の記憶。

鬼母に関する一番古い記憶は多分3歳くらいの時。

今の住所に引っ越す前の家で、間取りなどは
うっすら記憶に残っています。

子供って小さい頃いたずらするでしょう?
それが子供の仕事で成長の証だと
自分が出産してから知ったんですが、
うちの母はそれを全く知らなかったんでしょうね。

普通は子供に触られたくないものは
その辺に置かないじゃないですか。
それを怠っているのは自分なのに
子供が何かを触ると気が狂ったように
キレてせっかん。

その時は何で怒られたのか
さっぱり覚えていないのですが
とても長く、早く終わってくれないかなと
ひたすら思っていたのは覚えています。

ちなみに自分の物が無くなっても
怒られるのは私。
結局、後から自分がどこかへ
しまい忘れたことが判明しても
当然私に謝罪などしません。
むしろ
「お前がいつもいたずらばかりするから
疑われて当然だ」
とばかりに開き直ります。


「愛を乞う人」という小説の中に
母親が保険証をなくし、主人公である娘が必死で
探しまくる(見付からないと殴られるから)
というシーンが出てくるのですが、
まさに自分の過去とドンピシャでかぶり、
泣けてきました。

私の手元に誕生~入園直後までの
アルバムがあるのですが、
笑っているのは0歳代の頃のみ。

あとは全部暗い顔をして無表情で
写っています。

母親から虐待をされていたことを
物語っていますね。

一番古い記憶の長いせっかんの時であろうと
思われる写真があるのですが、
アゴに絆創膏を貼ったまま
カメラ目線を外し気味に雛人形の前で
写っています。
(多分泣きつかれた後に撮ったもの。
後に祖母の話で、アゴの傷はライターで
火傷を負わされたものと判明)

よくこんな状況下で写真を撮影しようという
気になったと思いますが、
母は妙に写真撮影に執着していて
どんなに楽しくないシチュエーションでも
無理やり撮らされるんです。
だから私はますます笑顔が作れなくなる。
でも母は撮影時に笑わない私が憎くて
さらに叩き、ポーズを取らせる。
悪循環です。

幼稚園に入ると身体的な事で
ネチネチと言葉の暴力も始まりました。

他の園児の写真を見ながら
「Y子(毒母は平気で私の友達の名前を
呼び捨てにします)はこんなに
可愛い顔をしてるのに、なにお前の
このひねくれた顔は!!!」だの
「お前は色が黒いからピンクなんか
似合わない!ガリガリでゴボウみたい」
などという言葉を日々浴びせられつつ
育った私。

言霊って本当にあるんですよね。

「ありがとう」という言葉をかけられ続けたご飯と
「バカ」とか「死んじまえ」という言葉をかけられ
続けたご飯では、
前者は綺麗に発酵したのに
後者は黒カビだらけになって腐ってしまった、
という実験結果見たことありませんか?

私は黒カビらだけのご飯と同じでした。。。。

幼稚園ではすっかり暗い子になってしまい、
自分を出せる場所などなかった。
唯一、優しかった父の前では安心できたかな、
その頃は。

でも父に甘える私に母はひどく嫉妬をするので
その点でも非常に気を遣っていたと思います。

ちなみに父が私にお土産として買ってきてくれた
お人形などの類は全て
母親が後から取り上げて、
居間にあるショーケースのような所に飾っていました。

毒親って精神年齢が低いとよく聞きますが
(まぁ低くなければあれほどの毒は出ません)
まだ幼稚園の子供と本気で張り合うんですよね。

父がアイスを買ってきたとして、
私や弟が自分の好きな物を取ったとします。
そこへ毒母が後からやって来ると
残っているアイスはヤダとごねて
「トラ子が持っているのがいい」
と奪われるんです。

普通の親だったら
「好きなの選んでいいよ。お母さんは要らないから」
ですよね?

我が家には子供が3人いるようだと
よく父も言っていました。

でもまだこの頃は母の毒性はマシな
方だったように思います。

だって、この頃住んでいた家は
懐かしいって思うんですから。
まだ楽しい記憶もそれなりに
あったんでしょうね。(母とではないにしろ)


母の毒が猛毒化したのは
私が幼稚園年中の時に弟が生まれ、
小学校入学を機に、
今、実家がある住所に引っ越したことが
きっかけだと思います。

あ、ちなみにこの引越し前に
母は内職の仕事をしていたのですが、
その仕事を持ってきてくれる男性と
不倫を始めたのもこの頃です。

子供といってもそっち系の知識は
妙に詳しくて、
この2人はいけないことをしている・・・
でもそれをお父さんに言ってはいけない
と思っていました。
その男性に対しての嫌悪感も何となく
ありました。

父はまだこの頃は気付いていなかったのかな。
その男性、我が家の引越しの手伝いにも
来ていました。
(我ながら記憶力良いな。書いているうちに
どんどん映像が鮮やかによみがえってきます)



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プロフィール

トン子

Author:トン子
トラ子→トン子へ改名したので
文中の名前がややこしくなってるかもしれません…。
今年の1月で毒母と絶縁してから7年経ちました。

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